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「夫婦別姓」の恐ろしい話 [政治・行政]

スターリン時代のソ連にて、夫婦別姓を導入した結果、とんでもない事態となったそうである。
ニコラス・S・ティマシエフ(Timasheff)の 「ロシアにおける家族廃止の試み」という論文(N.W.Bell"A Modern Instrucion to the Family"1960 N.Y.Free Prees所収)によると、夫婦別姓が家族廃止として機能した結果、
①堕胎と離婚の濫用の結果、出生率が急減し共産主義国家にとって労働力と兵力の確保を脅かすものとなった
②家族、親子関係が弱まった結果、少年非行が急増
③性の自由化と女性の解放という壮大なスローガンは、強者と乱暴者を助け、 弱者と内気な者を痛めつけることになった
としている。
日本において、ソ連型の夫婦別姓を導入した場合、似たような結果となることが予想される。目下、最高裁判事の憲法判断予定事項とされていることもあり、賢明な処置をお願いしたいところである。
以下転載
ソ連の「革新」的な実験がもたらした大惨事
夫婦別姓論者の真の狙いは何か
 その結果はどうなるか。かつて事実婚を公認した唯一の国家であった旧ソ連の 実験を左に紹介したい。以下は、ニコラス・S・ティマシエフ(Timasheff)の 「ロシアにおける家族廃止の試み」という論文(N.W.Bell"A Modern Instrucion to the Family"1960 N.Y.Free Prees所収)による。
旧ソ連の家族破壊はどう行われたか
 1917年、ロシアの共産革命によって政権を掌握した共産党及び革命政府の 施策は多くの抵抗に遭遇した。ソ連政府はその原因を家族、学校、教会にあると 考え、革命を成功させるため、家族の絆を弱め、教会を破壊し、学校を革命の担 い手に変えることとした。「旧秩序の要塞・伝統文化の砦」とされた家族に対す る攻撃は次のように行われた。
 一、従来、法律婚の要件とされていた教会での結婚式を不要とし、役所での登録だけで婚姻の効力が生ずるものとした。
 二、離婚の要件を緩和し、当事者合意の場合はもちろん、一方の請求だけでも裁判所はこれを認めることとした。
 三、犯罪であった近親相姦、重婚、姦通を刑法から削除した。
 四、堕胎は国立病院で認定された医師の所へ行けば可能となり、医師は希望者には中絶手術に応じなければならないことになった。
 五、子供たちは、親の権威よりも共産主義のほうが重要であり、親が反動的態度に出たときは共産主義精神で弾劾せよ、と教えられた。
 六、最後に、1926年には、「非登録婚」も「登録婚」と法的に変わらないとする新法が制定された。
 この結果、一、同居、二、同一家計、三、第三者の前での結合宣言、四、相互扶助と子供の共同教育、のうちの一つでも充足すれば、国家はそれを結婚とみな さなければならないこととなった。
 これにより、「重婚」が合法化され、死亡した夫の財産を登録妻と非登録妻とで分け合うことになった。
 こうした反家族政策の狙いどおり、家族の結びつきは1930年頃には革命前よりは著しく弱まった。
 しかし、彼らが予想もしなかった有害現象が同時に進行していた。1934年頃になると、それが社会の安定と国家の防衛を脅かすものと認識され始めた。すなわち、
 一、堕胎と離婚の濫用(1934年の離婚率は37%)の結果、出生率が急減した。それは共産主義国家にとって労働力と兵力の確保を脅かすものとなった。
 二、家族、親子関係が弱まった結果、少年非行が急増した。1935年にはソ連の新聞は愚連隊の増加に関する報道や非難で埋まった。彼らは勤労者の住居に 侵入し、掠奪し、破壊し、抵抗者は殺戮した。汽車のなかで猥褻な歌を歌い続け、 終わるまで乗客を降ろさなかった。学校は授業をさぼった生徒たちに包囲され、 先生は殴られ、女性たちは襲われた。
 三、性の自由化と女性の解放という壮大なスローガンは、強者と乱暴者を助け、弱者と内気な者を痛めつけることになった。何百万の少女たちの生活がドン・ファンに破壊され、何百万の子供たちが両親の揃った家庭を知らないことになった。


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