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聴覚機能について [日常生活]

ガスヒートポンプ騒音測定の立会を通じて、耳は騒音測定能力を持つ機器と思うようになった。
室外機周辺での測定数値と自分の耳の感覚を比較することを通じて、55~75dbのレンジなら1db刻みでどの程度の値なのかわかるくらいになった。
もちろん、騒音被害を受けた場合、高価な騒音測定器にて測定、被害を測定結果に基づき評価、検討することは必要である。
若い頃、プラント全体のパトロール業務を2年間やった。いわゆる聴診棒を持ち、回転機器の軸受け等に当て音を聴く仕事だった。異常振動等発生していれば軸受けにてそれなりの異音が発生することは常識。
水道局の人は、住宅の水道メーター付近の配管に、携行している漏水検知器で配管の音とメーターの動きから漏水の有無を判断した。
水道の漏水対応で学んだこと [日常生活]
医者が職業柄習慣的に聴診器で肺の音を聴くのも同様の考え方から来ている。
聴診器と似たような設備診断用の聴診器具も商品化されている。
聴診棒.jpg
耳で確かめるという行為は、異常の有無を判断するうえでとても重要であることがわかる。
ちなみに、現場確認に来られたメーカー本社のエンジニアは、被害世帯玄関先一軒一軒、それぞれ1分くらい立って確認していた。数値とは違う何かを聴き分けるスキルがあるようだ。他に職人的な風貌の人が何人かいた。
まったく違う視点から、音楽評論家吉田秀和は、ドビッシーを耳で聴こえる感覚に従って作曲した最初の作曲家であるとしている。名著「名曲三〇〇選」から引用させていただく。
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ドビッシーについては、彼が音楽の印象派の始祖であるとかなんとかいろいろな歴史的・思潮的位置づけが行われている。そうして、こういう位置づけは、それを考えるものの考え方の正確さと厳密さに応じて、大いに意味がわるわけだけれども、私たちは、何よりもまず、彼が、音楽をまったく新しく自分の耳を通じてとらえたことから出発しなければなるまい。彼くらい、≪自分の音≫で書いた人はいなかった。彼は、一つの世界をつくりだした。それは、非常に独自的な敏感な感覚を通じて行われたのだが、実際には、感覚の革命以上のことだった。彼の提出した世界そのものの魅惑ばかりでなく、一人の音楽家が、それまでの伝統的な枠から自由にぬけだして、音の混沌から、新しく一つの世界を、描き出すことを示した、ということが、彼のあとの音楽全体に対して、はかりしれない発言となった。音楽は、ドビッシーの開けた窓を通じて、新しい大気をっ呼吸しはじめた。
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当時、ドビッシーはフランス音楽界の権威筋から、音楽的に異端であるとされたが、耳という感覚機器の視点でとらえると、合理的な作曲手法だったことになる。
耳とは、我々が日常思っているよりも正確な音響測定装置なのかもしれないと思いつつあるところである。

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