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塾長ビジネスの実相 [メデイア 言論]

言論雑誌に寄稿する話題の人が塾長ビジネスを始めた。


私は、この方のビジネスとは距離を置いている。この方の言論ビジネス上の特徴はこうなっている。


特攻ネタの小説本で一儲けしたが、本人の性格は自己犠牲とは程遠いように見える。

お涙頂戴ものを得意としているようだ。ただ内容的に今一つ。


選挙に出馬した、元自衛官出身候補者の弁士となったが、早口でまくし立てるので何を言いたいのかよくわからなかった。


ツイッターで一時期話題となったが、暴言レベルの言葉遣いが相次いだ。


NHK経営委員になったが、余程具合が悪いことがあったらしく途中で投げ出した。


通史書を出したところベストセラーになったが出所記述無しの剽窃レベルの内容が続出、タイトルは皇室マター歴史書の暗黙の約束事を逸脱したものであった。この人が本を出すと、既に存在する本の劣化版と思うようにしている。


動画番組に出演すると、ニタニタ笑いつつ例によって早口でまくし立てるので何を言いたいのかよくわからない。気にいらない人を罵倒することが常態化し、批判された人に同情するほどである。


ウイキペデイアで学歴を確認したが、大学中退となっていた。


学歴、職歴どれもいい加減?、言論態度的に多くの問題を抱えている?人が、塾長やる資格あるのだろうかとふと思った次第。


私は、この方の本を一度も購入したことはない。ツイッターアカウントはあるが、極力見ないようにしている。

タグ:言論 政治
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学ぶことをしなかった人の結末 [メデイア 言論]

鷲田小彌太の「学ぶことの法則」にて、受験勉強の重要性について述べられている。

今さらみたいなテーマだが、諸外国との比較で日本人がなぜ優位なのかがわかる内容となっている。




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定理4 受験勉強をおろそかにするな


[証明1] 受験勉強さえしなかったもののだらしなさ


理屈っぽくいえば、「勉強」は「労働」の変形です。労働は、近代社会で、初めて人間の本質的活動とみなされました。それは、資本主義(アダム・スミス)でも社会主義(カール・マルクス)でも同じです。ただし、インドのように、前近代社会のシステムが濃厚に残っているところでは、労働は、しなくても済ますことができればベターな、「必要悪」であり、人間の活動の墜落携帯である、とみなされています。そういう国や地域は、いまでも世界各地に残っています。人口比からいっても、勤労精神が確立している国より、うんと多いのが現状です。


「勤労精神」、これが近代社会を前へ前へと引っ張りました。日本社会では、勤労は、人間のあるべき姿であり、勤労が人間の幸せの源泉だというのが常識でした。しかし、「勤労精神」が常識になっている世界は、実のところ稀なのです。社会主義の「崩壊」は、国民多数が勤労精神をもつことに失敗したことの結果でもありました。


社会と人間の仕組み(論理や整理)は、生産や労働を「モデル」に組み立てられてきました。朝七時に起きるのは、八時半の学校。九時の会社の始業に間に合うためです。一二時に昼食を摂るのは、たんなる昔からの「習慣」ではなく、労働の「合間」、休憩時間なのです。

だから、労働とまったく無縁な生き方をしている人は、この労働社会と圧倒的多数の労働する人のリズム(時刻感覚)とマッチしません。思考や行動のリズムが合わないんですね。


勉強も、生活リズムをきちっと刻むという点では、労働と同じ働きをします。学校へ行くということは、労働社会のリズムと同調する訓練でもあるのです。逆にいうと、学校へ行かないと、この誰もが身に付けているリズムを得ることができない、ということになります。すっと生産活動の中に入ってゆけないことになります。普通の人とは少し違った人間が出来上がります。パンクチュアリティ(時間厳守)の人間になれません。


ところが、後期資本主義といわれている現在、労働時間が大幅に縮小し、労働部分と非労働部分との比率が逆転し、労働のリズムが人間の生活=人生(ライフ)のリズムの中心を占めなくなりつつあります。自由時間が多くなるということは、各人が、労働のリズム、時限で考え、行動しなくてもいい部分が多くなる、ということです。休日、朝、汝に起きようが、いつ、昼食を摂ろうが、自由だということです。各人が、バラバラに一日を過ごしても、構わない、ということです。だから、いつでも開いており、好きなときに購入できる、コンビニが必要になるのも、当然です。夜更かしもOKです。社会がどんどん不定型になり、気ままになり、だらしなくなるのは、この理由からです。肯定的にいえば、自由になる、ということです。


受験の弊害、学歴社会のいかがわしさについて、どれだけ議論しても、市足りないと思います。しかし、受験も「勉強」です。それも、締め切り日が決まった、競争の激しい、成甲書房が必ずしも約束されていない、誰にでも配当、報酬がかなうというわけにはゆかない、「厳しい労働」(ハードワーク)です。それを経験しないで育った子が、労働社会、労働人間のシステムやリズムに同調しにくいには、当然です。


私見はつまりません。いい点数をとるのに、どれほどの意味があるのでしょう。しかし、よほど、自己管理能力をもっている人でないかぎり、試験がないと、学ぼうとしません。いつ学んでもいいということで、万事に締まり(締め切り時間)のない、困難(ハードワーク)に耐えることのできない人間になります。いい加減な人間ですね。


私は、一人前の大人になる「訓練」の視点からいうと、「兵役」の義務がなくなった現在、単に学校に行くだけでなく、まともな受験勉強もしないで過ごすと、働き始める年齢が上がり、すべてが必ずしも労働のリズムで動かなくなった社会の下では、背骨のない、歯止めのない、関節のバラバラな人間ができあがっても仕方がないことだ、という点を強調したいと思います。


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著者は兵役経験との対比で述べている。


私の学生時代、体育系の学生が就職先に恵まれた。

留年続きでサークル等の経験ない学生は就職試験に何度も落ちた。


私は政治的には保守だが、保守の言論人の学歴をWikipediaなどで検索すると、大学中退者が多い。左翼の学者が日本学術会議の肩書などで大っぴらに政治活動しているのと比較すると、保守言論のひ弱さの原因が受験勉強や大学時代の手抜きにあると指摘せざるを得ないのである。

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ssブログの素晴らしい点(エイプリルフール版) [メデイア 言論]

ssブログ機能について、エイプリルフールネタとしてまとめてみた。



ssブログ開設して1年経過した。原稿は大体100個出稿。

実は、ここに来る前にアメーバブログを開設したが、結果はさんざんだった。So-netブログについては、良質な画像系ブログが多いことを知り、どんな反応なのか試しに参加することにした。



1年間やってみた結果、他社ブログと比較して、アクセス数が伸びやすい(いろんな機能を有するため水増し加算されやすい仕掛けとなっている)ことがわかってきた。



まず言えることは、新規記事投稿すると必ず、ブログ運営会社が用意したツール(おそらく読者登録機能)からrssリーダーへのアクセスが急増、ブログ管理者のアクセス数として記録される仕掛けとなっているようだ。



これに対し、グーグルアナリシスの場合、rssリーダーアクセス分はアクセス数として加算されないとの情報がある。



RSSリーダー経由のアクセスはアクセス解析でどういった表示になるのか検証してみた





そのほかに、アクセス数増加が期待できるnice!ボタン機能がある。他のブログを訪問しnice!ボタンを押すことで、1回の訪問記録としてのアクセス以外に、nice!ボタンを押したことによりアクセス数が増加する。相乗効果が期待できるのだ。



そのためか、nice!ボタンを片っ端から押す人が増えることになる。試しに見境なく押してみた。するとアクセス数が(返礼のつもりで押す回数も増え)激増することがわかった。しかし、一連の作業を日常的に続けるのは面倒くさい。そこで、読者登録するなど引続き読みたいブログ中心でこちらからは押すことにしている。


その他にssブログは「自分のブログ記事しか読まないブログ管理者」のために素晴らしい機能を有している。

ブログ管理者が自分が管理するブログサイトを閲覧した場合、(他社ブログでは有り得ないことなのだが)アクセス数がカウントされる仕様になっているような気がする。自分で自分のサイトを1回眺めただけなのに、数回分のアクセス数が記録される仕様となっているように見受けられる。


もろもろの「アクセス水増しという素晴らしい機能」を有する結果、拙ブログの日々のアクセス数は多い日で800弱。少ない日で500前後。

1年がかりで投稿原稿数は100。原稿すべてオリジナル。剽窃やパクリ等はしない主義だが、アクセス数の異常な多さに正直驚いている。



先輩ブログ管理者である皆様のブログはどうなっているのか。ちなみに、「訪問者数、niceボタン数で拙ブログの10倍の先輩ブログ」の月間アクセス数は拙ブログの10倍となっている。



その先輩ブログの場合、アクセス数は訪問者数の5倍前後となっている。

拙ブログの場合、記事投稿した日でないのに、rssリーダーカウント分が6割となり、訪問者数の6倍のアクセス数となった日もある。有り得ないことである。

通常は3倍未満のことが多いと聞いている。



直感となるが、(管理者分も訪問者数としてカウントされること、訪問者数にrssリーダーカウント機能が含まれること、同一閲覧者による重複閲覧カウントなど?を総合すると)他社ブログで運営した場合と比較し、かなり多めにアクセス数がカウントされる仕掛けになっていると思われる。


ただ、訪問者数やアクセス数が雪だるま式にカウントされることで、運営会社側にとってコスト高の要因となっている可能性がある。

その分、サーバー等の負担が他社ブログ運営管理よりも過大となる結果、前の運営管理会社So-netはコスト的に見合わず、手放さざるを得なかった可能性がある。今の運営会社がコスト的に見合わない機能を今後も維持することは考えにくい。



今日はエイプリルフールである。


以上の推論は技術的に正しくないかもしれない。正確な根拠に基づかない愚論の類かもしれない。

ブログ管理者として、アクセス数が右肩下がりすることはブログ維持する「やる気」を削ぐ原因となる。アクセス数が順調に伸びることは、モチベーション的に良い方に作用する。近い将来、人口減少が予定され、ネット全体でのアクセス数がへることが確実視される中、ブログ管理者をがっかりさせずアクセス数が過大にカウントされる機能を維持しているssブログは素晴らしいと言わざるを得ない。



もちろん、本原稿はエイプリルフール版なので内容について深刻に受け止められ質問されても答えるつもりはない。議論するつもりもない。

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「テレビのない生活」に戻すという選択肢 [メデイア 言論]

先日、東京電力管内にて、電力需給ひっ迫で節電の呼びかけがあった。
業種別の電力消費量を見て改めて驚いた。
業種別電力消費量.jpg
目先、庶民が確実にできる節電対策として、パチンコ屋には絶対に行かない、テレビを見ない、照明を暗くするなどの方法がある。
テレビを見なくなり、照明をLED中心に入れ替えてから昼間の電気代は3割くらい減った。今後もテレビを見ない生活が続きそうな気がしている。
代わりに、テレビのモニター、スマホ、タブレットで動画やオンデマンド配信番組の視聴機会が増えつつある。
今や、テレビの放送時間に合わせる生活ではなくなった。
さて、テレビのない生活に戻すと聞いて何を思い浮かべるであろうか。
最近、推理ドラマのミス・マープル、刑事ドラマのモース刑事、探偵ドラマのシャーロック・ホームズなどを動画サイトやオンデマンンドで視聴している。
ドラマの中の時代背景として共通するのは、居間にテレビが見当たらないことである。登場人物は家族の人と会話する時間が長い。来客があればもてなす習慣があったようだ。牧師が地域の人々の日常生活に密着している時代であった。
この中で、ミス・マープルシリーズは、テレビ普及する前の、伝統的なイギリスの田舎の上流階級の人たちの生活実感がある。人々は日常的に正装、特に中高年になればなるほどきちんとした身なりの人が多い。老人たちは、ガーデニングや近所の人たちとの会話で一日を過ごしている。教会は人々にとって社交の場であり、精神的な砦であったようだ。
しかし、現代のイギリスは移民が増えたこともありそうではなくなった。テレビが、人々の生活スタイル、価値観、伝統までも破壊したような気がする。
現代の日本人はどうか。新聞が配達されれば隅から隅までじっくり読み、変わった事件が起きればニュース番組を家族総出で視聴する。その結果、何が失われたか。家族との会話する時間、思索する時間、来客を大事にする習慣である。
私個人は、値上げを機に新聞を解約した。その結果、時事問題についての家族との会話が増えた。さらに、ニュース番組をまったく見なくなった。もちろん、NHKの大河ドラマ、紅白などはこの10年間見ていない。
代わりに、ニュースサイトやまとめニュースサイトでの閲覧、オンデマンドでのドラマ視聴、LINEなどで学生時代の同級生、ボランテイアサークルの知り合いとのやり取りが増えた。
遅くまでテレビ視聴することはほとんどない。
近々テレビアンテナを撤去しようと思っている。撤去するにはお金がかかるが放置すれば放置したで、屋根に損傷が起きないか気になるし、受信契約解約してアンテナを撤去しないでいるとNHKの集金人がやってくる。NHKとは二度と接触したくもないのでアンテナ撤去することにした。
見たい番組があれば、オンデマンドで視聴する。ユーチューブにもたくさんアップロードされている。幸い操作方法や、どのオンデマンド契約が自分のニーズに合っているのかかわかってきた。
そのNHKは視聴者からの要望を無視し続けている。偏向報道、偏向した番組は続いているし。素性的に反日的な外国籍職員が激増していると聞く。総務省も自民党もNHK改革に熱心ではないし、以下の記事などからNHK改革はとっくに諦めた。
『元記者が証言するNHK報道の裏側―NHK受信料は半額にすべき』大和大介著(展転社) 金銭感覚が麻痺したNHK職員。最初の違和感は「タクシーでランチ」だった マイカー取材を認めない「事なかれ体質」
最後の手段として、テレビアンテナ撤去により、NHKの消滅を待望するのである。


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読み物としては面白いが根拠がはっきりしない歴史書 [メデイア 言論]

あるメルマガの記事にて、最近発刊された歴史書の紹介文を見つけた。内容的には面白そうだ。ただ、下記の本の「キリスト教の狭量」記事における出所表示はどうなっているのか、気になっている。


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☆◇◆◇◆☆◇◆◇◆☆◇◆◇◆☆◇◆☆◇◆◇☆◆◇◆☆◇◆◇☆◇◆◇ 

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「宮崎正弘の国際情勢解題」 

  令和四年(2022)2月13日(日曜日)

      通巻7217号

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 ★日曜版 読書特集

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門田隆将 vs 高山正之『世界を震撼させた日本人』(SB新書)

樋口敬祐、上田篤盛ほか『インテリジェンス用語事典』(並木書房)

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  書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW 

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 「日本人が素晴らしい」のは自明の理だが

   どこが、なにゆえに素晴らしいのかを歴史を溯って解明


   ♪

門田隆将 vs 高山正之『世界を震撼させた日本人』(SB新書)

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 篤い議論がとまらない。本書に挑む人はまずハンカチを用意すべし。

 全編が感動の渦、いまの日本人は、過去の日本人の慰霊を前に恥を知るべきだろう。

「日本人が素晴らしい」ことは言い尽くされた、自明の理。しかし「どこが」、「なにゆえに」素晴らしいのかを二人の対談は歴史を溯って解明していく。

 乃木大将、柴五郎、明治天皇、栗林忠道、酒井三郎、日系人442部隊。。。。夥しいほどの英傑に恵まれた。

 毅然として、凛として、使命を全うし、祖国のために活躍した人々をふたりは淡々と語りながらも、その言葉自体に霊魂が籠められている。

 評者、多くを語るまい。読んで涙し、現代日本を憂うるだけではなく、何かをしなければ死にきれないという決然たる思いを抱くだろう。


 さて評者があらためて知った意外な側面をひとつだけ。

 キリスト教の狭量についてである。

 ローマ帝国は多神教だった。ギリシア神話の神々を崇め、ミトラ教、イシス神を信仰していた。キリストを禁止したのは、狭量、その異教徒を認めない傲岸さにあり、ネロはキリスト教徒を迫害した。ローマを扼する危険思想と判断したからだ。三百年、禁教とされたキリスト教はしぶとく、しつこく浸透し、392年にローマの国教となる。

 高山正之氏の解説が始まる。

「途端にキリスト教徒が何をやったかというと、イシスやミトラなど、全ての他の神々の神殿をぶち壊し、その信仰を禁じた。ローマの礎だったギリシアの神々もすべて追放しただけではなく」、多くの聖地を壊滅させ、それでも反対する学者等を片っ端から殺した。

 門田氏が承けていう。

「不寛容というか、ものすごい攻撃性ですよね。十一世紀に始まるエルサレムをめぐるイスラムとの戦いなんて、キリスト教徒のほうがはるかに残虐です」。

 そのキリスト教が十六世紀に日本にやってきた。

 高山 「礼儀をわきまえない連中だった。宣教師どもは、九州の大名に取り入って、まずは近隣諸国と戦争をさせた。それで日本人に初めて敵を捕虜に取ることを教えた。捕虜は売れることも教えた。売買は宣教師どもがやった」

 秀吉は怒り、やがて家康は禁教令を出し、高山右近等を追放した。右近は高槻城下の神社仏閣を破壊し、坊主を殺し、旧聖地におぞましいキリスト教会を建てたからだ。

 門田 「日本がキリスト教化しなかったのは、当時世界ナンバーワンの強さを誇った日本の武士たちのおかげです」 

 武士道精神、いまだ行方不明の現代日本。

         ●◎●◎●◎


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サンプル的に何が問題なのか示す。


イシスやミトラなど、全ての他の神々の神殿をぶち壊し⇒どの文献で確認したのか

その信仰を禁じた⇒どの文献で確認したのか

ローマの礎だったギリシアの神々もすべて追放⇒どの文献で確認したのか

多くの聖地を壊滅させ⇒どの文献で確認したのか

反対する学者等を片っ端から殺した⇒どの文献で確認したのか



断定して書いているが、推論とする余地はないのか。

ともすれば歴史学者たちは断定調で書きたがる傾向がある。


本を手にとって確認してはいないが、高山正之の本にはどの文献からの引用なのか、出典表示がないケースが大部分、今回も同様、対談本なので情報の出所(ネタ本)の記述がまったくない可能性がある。


1000年以上前に起きたことは史料(情報源)がないと確認できないことが多い。

大学教授だった方なのだから誤解を生じない様、しっかり情報の根拠を表示いただきたいところである。


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