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早期退職 生き方としてのメリット [懐古録 余生]

雑誌、新聞などで一人の人間の生き方の選択肢として、早期退職が語られるケースが増えた。
企業側は、経営者が必ずしも有能とは思えない人たちであるのにもかかわらず、中高年を能力や実績で評価せず、例外なく不要な存在と見なす傾向にあり、60歳を過ぎて再雇用する人に対する(実態的に現役時代と同一労働なのに)現役時代の半分以下の賃金設定が続出していることなどにより、(潜在的なケースを含め)早期退職志願者が増えているように思う。
実は、私は早期退職者である。
会社の最初の早期退職募集に応募し、その後、十数年一度も働くこともなく、年金生活に入った。
さて、「名曲三〇〇選」(吉田秀和)の巻末にて、片山社秀は、音楽評論家である吉田秀和の生き様を次のように評している。
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吉田さんは、若い頃には役所や学校に勤めもした。その後、引き受けている役職だってある。
けれど、もうずいぶん長いあいだ、誰かに一方的に使われず、組織に縛られず、人の顔色を窺わずに、生き続けてこられた人なのだ。自らの独立を守り、こつこつと原稿を、それも相手に魂を売らうに書いて生き、そのようにして暮らしてゆく立場を侵害されそうになれば、敢然と戦う。まさに絵に描いたような市民なのである。他人にこきつかわれて暮らす平民とも、霞を食って生きている遊民とも違う。
そういう市民である評論家が擁護するクラシック音楽は、平民派や遊民派とは自ずと違ってくるだろう。遊民派の好む、地に足のついていなかったり、分かりにくくて新しがるばっかりのアクロバットを拒み、平民派の好む、短くて分かりのよい直情径行な音楽や、単純な繰り返しに満ち、そんなにアタマを使わずに身を任せていられる音楽を退ける。
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音楽評論家吉田秀和の生涯は以下にて。
吉田秀和
組織に依存せず、組織に縛られず、好きなことをやりつつ自由にモノが言えることは、言論活動上とても重要なことである。
もちろん、自由にモノを言うのに際して、たっぷりある時間をどう有効に使うかという大前提があることは無視できない。
人生は時間との戦いである。残された人生における時間の価値を知れば知るほど、早期退職して良かったと思っている。
対照的に、政治動画の世界では、たったの5分で済むことを1時間たっぷり視聴者を引きずり込む政党関係者がおられる。皇室問題をテーマに選び酒を飲みつつチビリチビリ問題提起される方もおられる。この方、元共産党員で今は保守に転向したとしている。言論作法的に日本会議的発想で言うと、皇室を貶める目的での言論活動と思いつつあるところである。

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モラルを説く人たちの「道徳モラル」 [政治・行政]

二階堂ドットコムのブログを読み、思い当たることがある。




弁護士?白々しいカネ稼ぎの悪党とはこいつのことだ
 2023/11/15 17:06   -J-CIA記事紹介
正義の味方だの、弱者の味方だのと声高に主張する人は、昔から胡散臭いと相場が決まっている。ここ数年、被害者救済を語りながら、裏で企業からカネをもらっているこの弁護士もその一人だろう。


25年くらい前から「後世のために、脱原発を説いていた河野太郎議員」は、結局は、一族が経営する中国との合弁事業拡大、再エネ利権拡大を目指していたことが、側近議員逮捕によって知れ渡ることとなった。


保守ビジネスの世界では、参政党の中枢に道徳を説く人がいる。小物なのだそうだが、人前で日本の心を語る割には残念な過去があるようだ。



日心会公式チャンネル



参政党はマルチ商法風?



日心会の会計問題ってちょっとした不備なの?



オナギ善行というアホとそのアホ信者




チャンネル登録者数から信者が5000人もいるのは衝撃的。

少し前に余命本がブームとなり、余命からの弁護士懲戒請求の呼びかけに騙され応じた人は4000人、内1000人が弁護士からの逆襲に遭ったことは知る人ぞ知る事実。


これらの事実は、政治的に騙されやすい人が数千人前後いることを示している。


余命三年時事日記



業種は変わるが、毎日のように朝礼みたいな場で従業員に対し、マナー、モラルを説く、5年連続買取台数日本一の中古車会社みたいなノリの経営者がおられる。


「日本一」企業の「理念」と「広島発でトップを獲る」ことへの想い




マナー、モラルを説く人の日常は、言葉とは裏腹の態度であることは世の常。支那のマチ界隈の方のようで、支那のマチモラルのラジオCMをつい想像してしまうところである。

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ラストリゾート読書 ヨーロッパ旅行編 [懐古録 余生]

円安等で宿泊費が以前よりも1.5倍程度に高騰、ツインで1泊5万円以上がザラで海外旅行しにくくなったため、行ってみたい場所中心に旅行案内書を選んでみました。
年金生活者なので、ぜいたくはできません。旅行ガイドを読んで行ったつもりになる訳です。
・ザルツブルグ
出張のついでに1泊したことがあります。建物が綺麗で住んでいる人たちも温和、とても良い場所です。
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・ウイーン
小生ウイーンが気に入り、3度行きました。
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・モネの庭
美術館や画集でみたモネの庭、一度は行ってみたいところです。
モネの庭.jpg
・コッツウォルズ
中世の田舎の風景ならコッツウォルズ。
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・ハロゲイト
イギリスの中でもっとも洒落た街と思います。日本語の旅行案内書が見当たりません。日本で言うと、金沢か鎌倉に近いイメージ。
harrogate.jpg
・ブリュッセル
知られざる食通の街。
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・スイス
鉄道で見る風景がとにかく素晴らしい。
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ラスト・リゾートとしての「読書」 [懐古録 余生]

ラスト・リゾートという言葉を最初に聞いたのは、自分が所属する事業部とは別の事業部の役員からである。その人は、行きつけのスナックを総称して、ラスト・リゾートと言っていた。
その役員が言うラスト・リゾートとは、「居心地が良い人生の締めくくりの場所」という意味である。
私にもそんな店が2,3軒あった。
オフイス街の目立たない場所にあった、昼休みにジャズが聴け、それなりの雑誌が読め、おいしいコーヒーが飲める喫茶店は最高だった。その店は今はない。
年上のママさんが時に絶世の美女に見えた店もあった。左遷人事の挨拶に行った時、ケーキをご馳走してくれた。励まされていることがわかった。
軽食ものが特に美味しい店には何度も通った。同じ喫茶店で見かける(入店直後から大胆に喫煙する)未婚女性に同じ会社の人だと悟られ、誘惑されそうになったこともあった。
私事となるが、会社を早期退職して十数年経過した。運良く経済的に自立でき、なんとか年金受給年齢となった。詳細言えないが、アベノミクスが幸運をもたらしたことは確かである。
しかし、歳とともに健康上の不安が表面化。持病が1年に一つずつくらいのペースで増えてきた。
このまま行くと、命に係わる症状に少しずつ近づきそうな気がする。
そこで、残る余生、何か無理せず楽しめるものがないか、あまり金がかからず、アタマを使うことで楽しめるものということで、メニューの一つとして「特定分野に限定した読書」を選んだ。教養としての読書ではない。余生を想定し繰り返し読むイメージで、これはと思う、印象に残った本を買い続けた。
大半は古書。
分野的にはこうなっている。
・海外旅行案内本
・庭園
・音楽書
・歴史書
・古典
・神社
最近、吉田秀和の音楽評論の中に面白い本が続出していることを知った。
日々、クラシック音楽を聴きながら、このピアニストの弾き方はこういう感じなんだよなあ、こういう雰囲気となんだよなー思いつつ、なかなか文章化しにくいことを、吉田秀和は詩的感覚あふれる言葉でピタリ的確に表現する。その言葉、言葉の響きが心地良い。
亡くなられて十年経つので、大半がボロボロの古書となるが、買い漁るだけの価値はある。私にとって、ラスト・リゾートの一部であるからだ。
人生は短い。
今や老兵となった身の上。
余生は、現役時代のように正義の使者の如く振舞うことは、徐々に徐々に消え去るつもりで、外出しにくい秋冬の雨の日などは、上記分野の本に囲まれ「ラスト・リゾート読書」で過ごそうと思っているところである。


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聴覚機能について [日常生活]

ガスヒートポンプ騒音測定の立会を通じて、耳は騒音測定能力を持つ機器と思うようになった。
室外機周辺での測定数値と自分の耳の感覚を比較することを通じて、55~75dbのレンジなら1db刻みでどの程度の値なのかわかるくらいになった。
もちろん、騒音被害を受けた場合、高価な騒音測定器にて測定、被害を測定結果に基づき評価、検討することは必要である。
若い頃、プラント全体のパトロール業務を2年間やった。いわゆる聴診棒を持ち、回転機器の軸受け等に当て音を聴く仕事だった。異常振動等発生していれば軸受けにてそれなりの異音が発生することは常識。
水道局の人は、住宅の水道メーター付近の配管に、携行している漏水検知器で配管の音とメーターの動きから漏水の有無を判断した。
水道の漏水対応で学んだこと [日常生活]
医者が職業柄習慣的に聴診器で肺の音を聴くのも同様の考え方から来ている。
聴診器と似たような設備診断用の聴診器具も商品化されている。
聴診棒.jpg
耳で確かめるという行為は、異常の有無を判断するうえでとても重要であることがわかる。
ちなみに、現場確認に来られたメーカー本社のエンジニアは、被害世帯玄関先一軒一軒、それぞれ1分くらい立って確認していた。数値とは違う何かを聴き分けるスキルがあるようだ。他に職人的な風貌の人が何人かいた。
まったく違う視点から、音楽評論家吉田秀和は、ドビッシーを耳で聴こえる感覚に従って作曲した最初の作曲家であるとしている。名著「名曲三〇〇選」から引用させていただく。
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ドビッシーについては、彼が音楽の印象派の始祖であるとかなんとかいろいろな歴史的・思潮的位置づけが行われている。そうして、こういう位置づけは、それを考えるものの考え方の正確さと厳密さに応じて、大いに意味がわるわけだけれども、私たちは、何よりもまず、彼が、音楽をまったく新しく自分の耳を通じてとらえたことから出発しなければなるまい。彼くらい、≪自分の音≫で書いた人はいなかった。彼は、一つの世界をつくりだした。それは、非常に独自的な敏感な感覚を通じて行われたのだが、実際には、感覚の革命以上のことだった。彼の提出した世界そのものの魅惑ばかりでなく、一人の音楽家が、それまでの伝統的な枠から自由にぬけだして、音の混沌から、新しく一つの世界を、描き出すことを示した、ということが、彼のあとの音楽全体に対して、はかりしれない発言となった。音楽は、ドビッシーの開けた窓を通じて、新しい大気をっ呼吸しはじめた。
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当時、ドビッシーはフランス音楽界の権威筋から、音楽的に異端であるとされたが、耳という感覚機器の視点でとらえると、合理的な作曲手法だったことになる。
耳とは、我々が日常思っているよりも正確な音響測定装置なのかもしれないと思いつつあるところである。

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