今年限りとする「年賀状挨拶」について [社会動向]
今年も「年賀状のやり取りを今年限りとしたい」旨の年賀状を貰った。
出した人の年齢、生活ぶりから仕方がないと思う人もいる。
何も言わず、年賀状をよこさなくなった友人がいる。気になったので電話したところ、退職を機に友人との付き合いもバッサリ止めたいとの意向であることがわかった。
腹立たしいのは、従兄弟からの年賀状である。一方的な縁切り宣言とも取れる文面には腹立たしさしか残らない。情けない気分になる。
一方で、一族で経営する企業にて決定された経営方針納得できないことを、第三者である私や友人たちに年賀状挨拶の冒頭で、何度も何度も述べる輩もいる。
これも納得しない。
それなりの学歴、それなりの職歴があり、プライドあるなら、第三者に言っていいことか悪いことか、分別というものがあってしかるべきだ。親族中から蛇蝎(だかつ)の如く嫌われる理由が何であるのか、その人は気がついていない。実の兄貴を小馬鹿にした対応をやめないことについて親族中の人が猛反発していることがわからないようだ。なんとか障害レベルと言わなくてはならない。
私個人は、学生時代お世話になった恩師、仕事柄お世話になった上司、一緒に仕事した仲間たちの年賀状は、ハガキアルバムに大切に保管するようにしている。ハガキアルバムはいつのまにか、尊敬する故人の記憶の保管庫みたいなものとなった。
年賀状は、時代はかわろうと、インターネットが連絡文書の主流となろうと、たとえ短い文面であっても、人と人の交流を記録する文書であり続けるのである。