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ラスト・リゾートとしての「読書」 [懐古録 余生]

ラスト・リゾートという言葉を最初に聞いたのは、自分が所属する事業部とは別の事業部の役員からである。その人は、行きつけのスナックを総称して、ラスト・リゾートと言っていた。
その役員が言うラスト・リゾートとは、「居心地が良い人生の締めくくりの場所」という意味である。
私にもそんな店が2,3軒あった。
オフイス街の目立たない場所にあった、昼休みにジャズが聴け、それなりの雑誌が読め、おいしいコーヒーが飲める喫茶店は最高だった。その店は今はない。
年上のママさんが時に絶世の美女に見えた店もあった。左遷人事の挨拶に行った時、ケーキをご馳走してくれた。励まされていることがわかった。
軽食ものが特に美味しい店には何度も通った。同じ喫茶店で見かける(入店直後から大胆に喫煙する)未婚女性に同じ会社の人だと悟られ、誘惑されそうになったこともあった。
私事となるが、会社を早期退職して十数年経過した。運良く経済的に自立でき、なんとか年金受給年齢となった。詳細言えないが、アベノミクスが幸運をもたらしたことは確かである。
しかし、歳とともに健康上の不安が表面化。持病が1年に一つずつくらいのペースで増えてきた。
このまま行くと、命に係わる症状に少しずつ近づきそうな気がする。
そこで、残る余生、何か無理せず楽しめるものがないか、あまり金がかからず、アタマを使うことで楽しめるものということで、メニューの一つとして「特定分野に限定した読書」を選んだ。教養としての読書ではない。余生を想定し繰り返し読むイメージで、これはと思う、印象に残った本を買い続けた。
大半は古書。
分野的にはこうなっている。
・海外旅行案内本
・庭園
・音楽書
・歴史書
・古典
・神社
最近、吉田秀和の音楽評論の中に面白い本が続出していることを知った。
日々、クラシック音楽を聴きながら、このピアニストの弾き方はこういう感じなんだよなあ、こういう雰囲気となんだよなー思いつつ、なかなか文章化しにくいことを、吉田秀和は詩的感覚あふれる言葉でピタリ的確に表現する。その言葉、言葉の響きが心地良い。
亡くなられて十年経つので、大半がボロボロの古書となるが、買い漁るだけの価値はある。私にとって、ラスト・リゾートの一部であるからだ。
人生は短い。
今や老兵となった身の上。
余生は、現役時代のように正義の使者の如く振舞うことは、徐々に徐々に消え去るつもりで、外出しにくい秋冬の雨の日などは、上記分野の本に囲まれ「ラスト・リゾート読書」で過ごそうと思っているところである。


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聴覚機能について [日常生活]

ガスヒートポンプ騒音測定の立会を通じて、耳は騒音測定能力を持つ機器と思うようになった。
室外機周辺での測定数値と自分の耳の感覚を比較することを通じて、55~75dbのレンジなら1db刻みでどの程度の値なのかわかるくらいになった。
もちろん、騒音被害を受けた場合、高価な騒音測定器にて測定、被害を測定結果に基づき評価、検討することは必要である。
若い頃、プラント全体のパトロール業務を2年間やった。いわゆる聴診棒を持ち、回転機器の軸受け等に当て音を聴く仕事だった。異常振動等発生していれば軸受けにてそれなりの異音が発生することは常識。
水道局の人は、住宅の水道メーター付近の配管に、携行している漏水検知器で配管の音とメーターの動きから漏水の有無を判断した。
水道の漏水対応で学んだこと [日常生活]
医者が職業柄習慣的に聴診器で肺の音を聴くのも同様の考え方から来ている。
聴診器と似たような設備診断用の聴診器具も商品化されている。
聴診棒.jpg
耳で確かめるという行為は、異常の有無を判断するうえでとても重要であることがわかる。
ちなみに、現場確認に来られたメーカー本社のエンジニアは、被害世帯玄関先一軒一軒、それぞれ1分くらい立って確認していた。数値とは違う何かを聴き分けるスキルがあるようだ。他に職人的な風貌の人が何人かいた。
まったく違う視点から、音楽評論家吉田秀和は、ドビッシーを耳で聴こえる感覚に従って作曲した最初の作曲家であるとしている。名著「名曲三〇〇選」から引用させていただく。
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ドビッシーについては、彼が音楽の印象派の始祖であるとかなんとかいろいろな歴史的・思潮的位置づけが行われている。そうして、こういう位置づけは、それを考えるものの考え方の正確さと厳密さに応じて、大いに意味がわるわけだけれども、私たちは、何よりもまず、彼が、音楽をまったく新しく自分の耳を通じてとらえたことから出発しなければなるまい。彼くらい、≪自分の音≫で書いた人はいなかった。彼は、一つの世界をつくりだした。それは、非常に独自的な敏感な感覚を通じて行われたのだが、実際には、感覚の革命以上のことだった。彼の提出した世界そのものの魅惑ばかりでなく、一人の音楽家が、それまでの伝統的な枠から自由にぬけだして、音の混沌から、新しく一つの世界を、描き出すことを示した、ということが、彼のあとの音楽全体に対して、はかりしれない発言となった。音楽は、ドビッシーの開けた窓を通じて、新しい大気をっ呼吸しはじめた。
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当時、ドビッシーはフランス音楽界の権威筋から、音楽的に異端であるとされたが、耳という感覚機器の視点でとらえると、合理的な作曲手法だったことになる。
耳とは、我々が日常思っているよりも正確な音響測定装置なのかもしれないと思いつつあるところである。

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